石井光太
先日買って読んでいなかった石井光太の「物乞う仏陀」を読んだ。
これはアジアで旅をしていた時に多分誰かから聞いたのか、どこかで知った作品だった。
この作品に魅了されて、僕は二つの行動をとった。
一つ目は、たまたま石井光太のHPに記載されていた講座の受講。
「体験を作品にする」というテーマで石井光太が講師、計三回のクラスだ。
もう一つ、この人の作品をもう一つ読んでみようと本を借りた。
「鬼畜の家」
親に殺された子供の話だ。
物乞う仏陀のあとがきにも書かれていたが、主観というよりかは対象者の感情や思いを含む事実をありありと伝えている。
言葉が石井光太の文字を通して、その人によって語られている感じ。
それはささやかな風景や語る人物の些細な描写であったりが、言葉を立体的に見せているのか。
内容は非常に悲惨である。
悲惨と捉えられるのはこの本を手にとって平和的に読める自分の立場がそう思わせる。
当事者たちは自分たちの環境や状況を受け入れていることが多い。悲壮感を持って乞食や虐待を語っていない。無力的な空気。
自分の平和さに嫌気がさしてくるこの感じ。
自分に何ができるのか。
何をすればこの世はよくなるのか。
昔は大きく考えれば考えるほど、夢も抽象化されていった。
今は、まず目の前の現実に向き合うこと。
世の中に最初から大きなインパクトを与えることなんてほぼ不可能である。
お前は周囲何mかの人間を幸せにできるのか。
まずはそこからである。