美しきは美しき

感じたことのメモ書きです

感じたこと、即ち真実

感じるってなんだ?

最近仕事として必要が迫られることもあり「感じる」とか「直感」とか「感性」を意識している。昔から馴染みのある言葉たち。

 

たしかレイチェル・カーソンが「「知ること」は「感じる」ことの半分も重要ではない」と言葉を残している、ということを靴作りにいっていた頃の先生が言っていた。

うちの会社の代表も「感じたことがあんたにとってまぎれもない真実」と言っていた。

椎名誠は「最近の若者は一枚の絵から放たれるパワーを「感じる力」が弱くなっている」というようなことを言っていた。

久石讓は「想像力の源である「感性」、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ」「「直感力」がセレンディピティを引き寄せる」と言っていた。

将棋の羽生さんも「決断力」という本の中で「選択の際、最後に頼りにするのは「直感」」と言っているそうだ。

スティーブ・ジョブスも卒業式のスピーチで「何より大事なのは、自分の心と「直感」に従う勇気を持つこと」と言っていた。

 

社会に情報が有り余るから、決断や判断に迫られる時、僕は自然とネットから回答を得ようとしている。そうすると自分が本当に何がしたいのか、というところから離れてしまい、自分で選んでいても責任も主体性もない、誰かの行動になってしまう。これはよくない。感じることに従順になること、自分の直感に自信を持つことは大切だと頷ける。

 

この前、会社の子と話した「見て見ぬ振り」。

これは照れの要素も強いけど「助けなくて大丈夫か」と心が反応したら、助ける。この当たり前の流れができなくなっている。なぜか。

いちいち一つ一つに感じていたらキリがないから、冷めないといけない、やみくもにアンテナを張っていると疲れる。会社の子はそういう見解だった。

 

最近の日本人には「思いやり」「自己肯定感」が欠けていると言われている。今一度自らしまい込んだアンテナを引っ張りだして、キャッチした電波で喜ぶ遺伝子を見つけてみる必要がありそうだ。