美しきは美しき

感じたことのメモ書きです

点と点をつなげる力

志の輔らくご」を下北沢の本多劇場へ見に行った。
率直に圧倒的だった。合計3時間15分、退屈な映画でなくても疲れる上演時間の長さである。だのに疲れなかった。いや疲れないと言ったら嘘になるかもしれない。ハラハラ、ドキドキの疲れはあった。

軽妙なトークから、後半の高座に向けて、流れの中で物語を把握するためのプレゼンテーションに入っていく。登場人物の系統図を前に話す師匠の説明はどこまでもスムーズでガッテンだった。

 

「牡丹灯籠」といい三遊亭圓朝作の有名な怪談落語らしい。最近は話の一部を切り取った短編版が語られることが多く、当の師匠も青年時代に聴いて知っていたのはその話だったとのこと。
実際、全編はものすごく長く師匠曰く、圓朝は1日2時間を15日間連続で高座に上がり語ったらしい。それはそれで話す方、聴く方の体力にもゾッとする。

前半1時間ちょいとのプレゼンテーションでストーリー展開が見えてくる。悲しみ、恨み、愛、喜び、あらゆる情が系統図の人物を点線でつないでいく。
頭の中にはまだ人物やストーリーが点としてそれぞれ浮遊しているだけ。

後半には高座に上がって聴く落語。浮遊していた点がそれぞれ磁力を持ち始め繋がり始めた。もはや頭の中では勝手にスクリーンが進んで行く。志の輔師匠は語っているだけなのに、圧巻の映像力。しかもところどころで緊張を解くように笑いを誘う。

話の終わりには、志の輔師匠が続きを想像したエピローグがあった。

「ありがとうございました」
と深いお辞儀。

ああ感動した。放心しながらもピシピシと電気を感じる。しびれたのだ。
知りもしないけど芸を極めるってこういうことなのかと思った。
志の輔らくご「牡丹灯籠」は今年7日目で、11年継続されていて毎年来る方もいるとまくらで言っていたが、その意味がわかった。多分話を聴くごとにどんどんどんどん頭の中の映像の解像度が上がっていくのだろう。

最初はただの点と点だったのに。
相手の想像力を使わせる。ただ圧倒的な体験であった。